全てはスターフォースから始まった。
テイカン(後にテクモ)がゲーセン向けに制作した「スターフォース」
某近畿大学前にあるゲーセンストリートで何度もそのスターフォースをプレイしたことがあるが、とても難しいゲームという印象。
そのスターフォースがファミコンに移植される。。まじか。
って当時思ったかどうかは定かじゃないけれども笑
ハドソンがコロコロとタイアップして全国ファミコン大会を開催しようということで採用されたゲームソフトがスターフォースだった。
スターフォースってどんなゲームよ
いわゆるシューティングゲーム。シューティングゲームと言っても色々あるんだけれども、戦闘機に乗り込んで弾を撃ちまくり敵機をやっつけていくというアレだ。
でもただシューティングゲームではなく、ヒドンという隠れキャラやラリオスという1秒間に8発打ち込めばボーナスがもらえたり、ゴーデスという謎の100万点(1985年当時としては破額の点数)キャラがいたりと考えながらやりこむゲームでもあったのだ。
その他パーサーという味方機を救助すれば連射速度が上がり、より有利にゲームを進めることができるようになるという。
後のハドソンのゲーム制作に大いに影響を与えたゲームだと言っても過言ではない。よね。
当時ファミコンを持っていなかったなかじは、親友のみちゃ(ニックネーム)のファミコンとスターフォースを借りて練習しまくった。なかなか上手だった記憶がある。また友人の冨松(とみまつ)くん<実名>がハル研究所のジョイボールを買ったというので、見に行った。
ジョイボールの連射速度に驚愕した。いつもと違う連射音にビビったけれども、肝心のボールでのコントロールは酷すぎて使い物にならなかった笑
そんなこんなで1985年8月19日、今は亡き「プランタンなんば」で初のキャラバン参戦を果たした。
初めて見た16連射
まだ高橋名人という名前が売れていない時代、ふくよかなお兄ちゃんという印象のハドソンの社員がスターフォースのデモンストオーレションを行うという。
「ふ。まぁ所詮その辺の大人がなかじよりゲーム上手なんてことないよ。」みたいなよくある漫画のようなことを思いながら高橋名人のプレイを見る。高橋名人が痙攣連射を披露した途端、会場から怒号にも似た声が上がる。あの時の衝撃は子供ながらにトラウマになりそうだったわ笑
最初の感想「え!ジョイボール使ってるんちゃうん!」(他社の製品を使うわけない)
当時の高橋名人の連射はめちゃくちゃ速くて、16連射どころか20連射くらいあったんじゃなかろうか。本当に速かったんだよ。第3回キャラバンくらいから高橋名人の連射は13連射くらいに落ちていたけれども(営業妨害)
野球選手の沢村栄治の球速を語るようで申し訳ないが、高橋名人は本当に連射速度が異常に速かった。
キャラバン戦績
もう散々たるもの。。。ヒドンは逃すわ、ラリオスミスるわ。。当然ながら予選落ちだった。
まぁ言い訳になるけれども、高橋名人の衝撃が凄すぎて、ゲームに集中できなかったのよ。ほんとこれマジ笑
でも挫折を味わうからこそ、人間は強くなれるんだ(鬼滅)
その後のキャラバン大会にも参加したくて会場に行ったんだけれども残念ながら整理券がなく、長瀬中学期待の新人デビューイヤーは、予選落ち一回というほろ苦いものとなってしまった。
ここからなかじの逆襲が始まったのさ。