美加の台住宅フェアの話

ゲームイベント

ある名人との出会い

大盛況に終わった第二回キャラバンが終わって、興奮冷めやらぬ10月に大阪は美加の台という、大阪人でも知らない土地での住宅フェアが開催された。(2020年現在でも美加の台ってどこにあるのか知らない)
調べてみたら南海電車 河内長野の方に美加の台があるらしい。。

大会名の正式名称は「ハドソン スターソルジャーFC大会 大阪・河内長野 南海美加の台住宅フェア特設会場」
日程:1986年10月19日(日)・1986年10月26日(日)の二日間

おそらく当時は住宅フェアに人を呼ぼうと模索したのだろう。大人気のファミコン大会をハドソンに依頼したようだが、その目論見はアテが外れた外れただろうね。だってファミコン戦士たちは大人となんて来ないし笑。案の定キャラバンに参加した猛者たちばかりが集まり、住宅なんて誰も振り向きもしないしな。

しかしまぁそれはそれは第二回キャラバンで涙を飲んだヘタレども猛者たちがたくさん集まった。
そしてキャラバン界は空前の「軍団」ブーム。正統派軍団に叩き軍団、ゲーム軍団とか流石に当時の厨房たちがつける名前は。。
そんな中一際目立った軍団は山下率いる関西最大軍団「蛇道軍団」
この日は団長山下は不参加、でも山下団長の弟や、キャラバンで超高速擦りを披露していたデブヤギ青柳が来ていた。そして何より、あの「藤原名人」が司会としてきていたんだよ!!。。。え?藤原名人って誰?www

いや、、何かハドソンの社員さんらしいんだけれども、、特にコロコロとかに紹介されていたわけでもないしよくわかんない。
みんなぽかーんとしているところに、本家名人「川田名人」が登場した。
これにはみんな驚いた。たかが大阪は訳のわからん美加の台という地方での大会に、メジャーな名人がいらっしゃるとは!
第二回キャラバンの北キャラバン担当名人であり、なかじは面識がない。でもコロコロコミックで高橋名人の弟子であり、桜田名人とともに当時をかける話題の新人名人だったのだ。

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猛アピール

なかじは当時連射が18発から19発出していたのだ。本当に。で、大会でもそれで頑張ったっということを川田名人に猛アピールしたwww
川田名人にとても気に入ってもらった。そしてデモンストレーションで当時未発売の迷宮組曲を持ってきて他ので、連射速度測ろうぜ!って言われ、計測することにした。

が、こんな時に限って右腕が硬直www1秒間に最大14連射くらいしかできず、またも涙を飲んだwww
せっかく第二回キャラバンの汚名が少しは張らせると思ったのに、ハジの上塗りをしてしまった。。

ま、いいか。ということで大会開始。

キャラバンと同じように2分間の予選と5分間の決勝が行われる。、、がキャラバンほど厳格ではなく、みんな何回も2分間をプレイしよる笑
とはいえ、結局実力あるものだけが決勝に残った。
そこで注目されるはやはりデブヤギ青柳。彼はなんと伝説の「二度目のラザロ」を出現させたのだ。
結局他のボーナスをミスっていたので、二度目のラザロの恩恵は受けなかったが、キャラバンでも清水しかなし得なかった2度目のラザロを出現させたことは圧倒的なパフォーマンスに違いない。
ほんま、漫画みたいな世界だったわ笑
なかじも負けずに奮闘した。ような記憶があるが、優勝はしていない。と思う。笑
正直もう結果は覚えてへんわ笑

あらゆる軍団からの入団誘い

なかじはキャラバンで好成績を収めながらも優勝していないので、たいして注目されていなかった。
と思ったが、案外「キャラバン叩きの達人」として知られていたらしく、正統派軍団笑とか色々な軍団からお誘いをいただいた。
そしてあの蛇道軍団山下弟から「兄がコロコロコミックに掲載されている中島くんをみて、『この人蛇道軍団に入れたいわ』って言ってた」ということを聞き、「わかった。入団するから山下兄から連絡くれ」と伝えた。
その夜山下兄から自宅に連絡があり、入団要請を受け快諾した。
とまぁ大層に言っているけれども、仲良しグループに入ったとか、今で言えばゲームの世界でどっかのギルドに入ったようなものよ笑
そして次の週の美加の台大会では山下兄も参加。握手で入団会見?を開いた。そして天敵であるデブヤギとも握手。
なぜ天敵かって?なかじは痙攣連射、いわゆる叩きでスターソルジャーを攻略するタイプだったのだ。でも青柳はこすり推進。仲間になろうはずもない。
と思ってた夜、なかじはこすり連射に変えた笑
だってそちらの方が得点高くなるし、叩きにこだわって正統派正統派と言ってても負けたら嫌だし、何より蛇道だしww

あんがい蛇道軍団に入って、自分が思っている悪は、悪ではないんじゃないかと柔軟に思えるようになった。だってキャラバンでこすりがダメなんてルールにはないし、なかじはあくまで高橋名人がずっと叩きでやるから、自分もと思っていただけで、それが正しいとは思っていなかったんだよ(こだわりなしwww

いや、正直すまんかった。あそうそう、この大会には南覇者である大西とその弟も参加していたのだ。もちろん連絡先を交換してもらった。そして大西兄が優勝したあの日、なかじは準優勝だったんだよ。とどうでもいい情報も伝えた。

川田名人からお誘い

美加の台住宅フェアはとても小さな大会だったが、この話を取り上げたのは、なかじのキャラバン人生、いや普通に人生を変える出会いがいくつもあったからだな。蛇道然り、大西兄弟然り。
でも何よりも大きな出来事だったのは、川田名人と出会えたことだ。今にして思えばこの美加の台で川田名人と出会えたことが人生のターニングポイントだったんだな。

実はこの美加の台で川田名人と知り合いになったことで、川田名人はある大イベントになかじを呼んでくれたのだ。それは1986年12月「ハドソンin国技館」。これは国技館をハドソンが貸し切り、あらゆるゲームの宣伝にやら何やらを行うイベント(ざっくり)
そのなかでメインイベントとして、第二回キャラバンで活躍した全国の猛者を集めてスターソルジャー5分間のプレイすると言うもの。しかも普段は相撲取りが相撲を取っているであろう土俵を退けて作られたステージでやるのだ。
全国の猛者はそれはそれは当時現役で活躍していた阿部くんはもちろん、グランドチャンプの清水くんだって当然呼ばれている。それはそれは雑誌にも取り上げられるような大スターばかり。
そんな中に大阪で優勝経験もないおいらが、有名な蛇道軍団を差し置いて呼んでいただけたのは川田名人の力添えがあったに他ならない。何がすごいって前日までに全国の猛者がとあるホテルでキャラバンのことについて話ができたんだよ。修学旅行より楽しかったわww

なかじはミーハーなもんで阿部くんについて回った。あの頃の阿部団長はほんとかっこよかった。メガネのクール男子って感じ。申し訳ないが清水くんに団長が負けて、自分のこと以上に悔しかった記憶があるw
とはいえ、清水くんが現れたらこれまた清水くん清水くん言っとったがなwwww
そりゃ2度目のラザロをキャラバン中に成功させた男よ。尊敬せんわけがない。むしろ神。

でもその神とグランドチャンピオンを争うまでになるとは、この時知る由もなかったよ。

で、結果はどないやってんと

えっと、、確か清水くんが2度目のラザロを出したやら出してへんやらで優勝したと思うww
え?なかじ?そんなもんゲームどころやあるかいww
高橋名人のほか、川田名人、桜田名人、清水くん阿部くんとかとんでもない人に囲まれて実力が出せるほど成長しとらんわいww
清々しいほどに惨敗した記憶がある。

しっかし、国技館を貸し切ってあんなどでかいイベントをやるなんて、ハドソン凄かったよね。。
ほんと今あの時の勢いのままのハドソンがいたらe-Sportsのありようもかわっていたに違いない。

時代が早すぎたよね。惜しいことです。

 

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