アーケードゲームというのは所謂ゲーセンのゲームということ
世界で最初に製作されたアーケードゲームは1972年にアメリカのアタリという会社が作った「ポン」というゲームで卓球?というかピンポンのように球を打ち返すゲーム
そして1976年には同じくアタリ社が「ブレイクアウト」というゲームを作った。日本では通称「ブロックくずし」。タイトーをはじめいろいろな会社がこのゲームを作るために起業したとまで言われるほど売れに売れたゲーム
さらに1978年に誰もが知ってる「スペースインベーダー」、1979年には「ギャラクシアン」が製作された。
なかじはブロックくずしからのユーザで日本の初期ゲーマーと言っても過言ではない👀
ていうか、幼少期からゲームに携わったサラブレッドとしか言いようがない👀
(サラブレッドの意味履き違え
1973年には日本で『ポン』のコピーゲーム『ポントロン』(セガ)と『エレポン』(タイトー)発売
ゲームというより壊れたコンピュータ画面みたいな。。
昔は基本的に白黒。画面の上にセロファンを貼って色付けするという荒技が横行してたよ
敵の上にセロファンを貼ってたけれど、インベーダーが下に降りてくるたびに色が変わる現象がw
スペースインベーダーは世に大ブームを巻き起こし、名古屋打ちなどの技も開発された。まぁ技と言っても知れているんだけれども
アーケードゲームとなかじ
前述の通り、幼少期から大阪は近鉄長瀬駅から近畿大学までの道筋にあるアーケード街、通称「ゲーセン通り」に通っていた。
このゲーセン通りは最新のアーケードゲームが1プレイ10円で出来るのだ。たまに20円のお店が現れるとすぐに淘汰されるレベル😂
通常のゲーセンが1プレイ100円だったのだから、10分の1でプレイできるため全国からゲーマーたちがやって来てたのはいうまでもない。
もちろん1970年代〜1980年代はゲーム=勉強の敵・不良・目が悪くなると言ったネガティブなイメージのオンパレードだった。
その中でも幼少期からゲーセンに通ってたなかじは相当アレだったに違いない😂
ブロックくずしとなかじ
なかじこれ下手くそ。かなり初期から練習していたんだけれども、そもそもレバーではなくダイヤルを回してバーを動かすのが不得意で全然コントロールできなかった。幼少期ながらにとっても悔しかった記憶がある。
どちらかというと後述するスペースインベーダーにハマっていた。
スペースインベーダーとなかじ
スペースインベーダーは大ブームを巻き起こしたゲームの一つ
大人たちはこれまた大ブームを巻き起こしたボーリングからスペースインベーダーに移った感じ。
なかじがスペースインベーダーをよく知るきっかけになったのは、ゲームセンターあらしという破天荒な主人公がゲームで敵を倒していく(だったよね)漫画から。主人公が「炎のコマ」とか言って手から炎を出してコントローラをぶっ叩いたり、出っ歯でボタンを連打したりして何故かゲームを攻略できてしまう漫画
今読めば果てしなく呆れる漫画だが、当時はこれまた大ブームだったのだ😂
そしてなかじは近くにあったニューグリーンという元ボーリング場、当時パチンコ屋の別室にスペースインベーダーが置かれていてよく練習してたよ。
当然名古屋打ちとかレインボーとかマスターしたよ
インベーダを自機の目の前(もう一段下がると自機がやられる)まで降りてこさせると、敵の弾が当たらなくなるのだ。この性質を活かして技と目の前まで敵をおろし、一網打尽にするという
縦5列のインベーダーに対し1列目を残して下まで降ろさせると、インベーダーの痕が残るようなバグが起こる。これをレインボーと呼んでいた。
その他にもUFO三百点とかいろいろあったんだけれど、よく練習したわ
ちなみにギャラクシアンの良い思い出はないので、特に書かない🤣
こういったレトロのゲームは幼少期のなかじにどうやったら高い点数を取れるのかを考えさせる起源となっており、キャラバンで活躍できたのはインベーダーから養われたものだったの。
という後付け😂