伝説のゲーム名人から直電

T名人からお家に直電事件

別に名前を隠す必要はないのですけどね笑

あれは第6回SSSキャラバンと第7回ファイナルソルジャーキャラバンの合間、5月くらいだったかな。
大阪のとある場所で、ファイナルソルジャーのお披露目会があった。
第7回キャラバン公認ソフトなのだから、とても気になったわけですよ。

立ちはだかるハドソン社員の得点壁

ハドソンの社員が、ファイナルソルジャーの開発時から特訓していて、その時点での2分間の最高スコアにとても自信を持っていた。
詳しい点数は忘れたけれども、77万点くらいじゃなかったか?

「どうだ。これは抜けまい。我々ゲーム会社の社員を舐めるなよ」と言わん“ばかり“に、まるで腕を組んで仁王立ちしているかの“ように“「中島くん、教えてやるよ」と言わん“ばかり“に、社員さんが寄ってきた。(偉そうなことは何も仰ってないよ笑)

キャラバンランカーってやつぁ

ところがですよ。なかじはそれまでキャラバンに6年間出場しきて、第3回以降は全て日本4位以内(パワーリーグは全国大会2回戦敗退)グランドチャンピオンだって取ってるわけですよ。

相手がハドソンの社員とはいえ、キャラバンゲームに関しては負けるわけにはいかない!(負けられない戦いがそこにも!😂)

さぁなかじの闘争本能に火がついた。何度も順番を待ってプレイし、ファイナルソルジャー2分間の攻略を編み出していく

要は中ボスの倒し方が肝だったわけで、他の地上物や空中物を全部取ってしまえば後はボスの吐き出す弾の撃墜次第だったのだ。そして15時すぎ、その時が訪れた。

たった1日にして、ハドソン社員最高得点を抜き去ってしまったのだ。これにはハドソンの社員さんも笑うしかない😂

まぁでも攻略法を教えてもらい、その通りに実践して自分なりにアレンジしたのだから、あとは時間の問題だったのだ。
言うなればその社員さんがかけてきたファイソルへの時間を、ショートカットさせていただいたのだ。ありがとう😊

そして冒頭のT名人から自宅に電話が

東大阪のしがない「大蓮」という小さな街の、昭和らしい長屋の小さな家に住んでいたなかじ
自宅に一本の電話がなり、ちょくちょくこのblogにも出てくる「ばあちゃん」が出た。

ちなみにこのばあちゃんは、キャラバンが始まってから数々の記録を個人認定してくれる素晴らしいばあちゃんなのだ。
チャンピオンシップロードランナーだって、ハドソンの認定カードをもらう前にばあちゃんに認定カードをもらったんだから😂

そんなばあちゃんがいたからなかじのゲーム実力が上がっていったと言っても過言ではない😊

話を戻そう

電話に出たばあちゃんから「かず、高橋って人から電話やで」(かずはなかじの家での愛称)
「。。。。高橋??友達に高橋なんかいたっけ。。」
妹が冗談まじりに「高橋名人やったりして笑」と笑う。

そんなわけあるか笑と電話に出たら本当に高橋名人だった😳

全国に名前が売れている有名人から我が家ごときにお電話をいただけるとは。。
「大阪ハドソンでファイナルソルジャーを作っているんだけれども、そのアドバイザーとして来てほしい」とのこと
1日でハドソン社員の得点を抜いたことでアドバイスをという話になったと思う(曖昧)

。。え?おいら行っていいのか?そもそも開発に携わって、キャラバンに出ていいのか?
ギャラ、、いや、そんなものいらない笑
ゲームの開発に携わるというのはそう簡単に経験できることじゃない。

浦さんとのご対面

今はないけれど、長堀のビルにあるハドソンに向かう。
偉いさんの浦さんが出迎えてくれた。
浦さんはファイナルソルジャーの総監督という立ち位置なのかな。他にもパワーリーグとかも手がけていたらしい。
で、結局何をしたのかというと、ファイナルソルジャーをプレイして、ここをこうしたらいいんじゃないかなとか言ったけれども、まぁ開発に関してはど素人なのだ。ほとんど意見は採用されなかった記憶がある笑そりゃそうだよ。
ハドソンは当時ハードも作って破竹の勢いでゲームをヒットさせているメーカー。
キャラバン常連だからといって、そう安やすと案が採用されるほど甘くないのよ。

一つ、なかじが出した案の中にファイナルソルジャーの弾が敵に当たった音が、あまり気持ち良くない。
というのがあったんだけれど、これも採用されなかった。ソルジャーシリーズは爽快感がウリだと思っていたので、ファイソルにもそれを求めたんだけれどなぁ。

まぁなんだかんだで、そんなにお力にはなれなかったのですよ。
それこそキャラバントップ集団にハドソン社員が立ち向かってきたのと同じで、日本が誇るヒットメーカーになかじごときの案なんて通っちゃいけないのですよ😂

ただ、なんだかんだで採用されたものもあり、いい経験をさせてもらいました。
そのくせファイナルソルジャーキャラバンでは日本5位という成績に、ハドソンの社員からも「体たらくだな笑」と苦言をいただいた記憶がある。

でもファイナルソルジャー台湾大会に連れて行ってくれて、第5回日本のチャンピオンとして紹介され、デモンストレーションをさせてもらった。
その時のなかじのプレイにより、会場にどよめきが起こったのは、スターフォース時代初めて高橋名人のプレイを見て会場がどよめいた感じに似てた。

台湾大会は1日しかなかったので、当然その中から日本ランカーに入れる程の得点は生まれなかったけれども、のちのe-sportsに台湾の猛者を産んでしまったのではないかと自負している(なわけ😂

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