ハドソンジョイスティックとなかじ

ハドソンスティックとの出会い

1986年6月20日にハドソンがファミコン版の「スターフォース」を発売した日、同時発売したハドソンジョイスティック。発売された当初は「ふーん。そんなのもあるのね。」程度に思っていた。そして初のゲーム全国大会である全国キャラバンが開催され、1986年8月19日キャラバンは大阪にやってきた。今は「プランタンなんば」に。そこで初めてハドソンジョイスティックなるものを拝見した。

それよりもあの人が

ハドソンジョイスティックを初めて見た。「ふーん」だった。そして初めて「高橋名人」に会った。会ったと言っても、一少年としてなので、高橋名人はなかじとそこで初めて会ったなど知るよしもない。そして初めて16連射のプレイを見て驚愕する。
「え?昨日見たジョイボールと同じくらい速い連射やん!そんな速く打てるもの?」
明らか動揺したよ笑
スターフォース予選でラリオスミスるくらい動揺(言い訳)
高橋名人のファンになるとともに、越えるべき壁に位置づけた。

特訓の日々

我が中学ではすでにゲーマーとして名が通っており、全国大会にも出場すると公言したのだ。(注 全国キャラバンは整理券さえもらえれば誰でも出場できます
こんな、、予選落ちで終わりだなんてプライドが許さない。ということでハドソンジョイスティックを買ってもらい、もう毎日痙攣連射の練習よ。すごいと思ったけれども結局1日で痙攣連射をマスターした。

いざ!大阪梅田の大会へ!

そのころはまだ中学2年生で、恥ずかしながら1人で電車に乗ったことがなかったので、おばあちゃんに梅田の阪急百貨店へ連れて行ってもらった。
が、すでに整理券は配り終えられていて、なかじのキャラバン成績は予選落ちということで終わり。
。。あれ?ハドソンジョイスティックの話をしてたんだよね(笑

いや、ハドソンジョイスティックは発売当初はそんなに気にもしてなく、大会でも必要だから買ったにすぎず、ってな感じ。
でも第二回キャラバンから必需品になり、第三回キャラバンでは連射付きジョイカードが公式に使用可能になったものだから誰もハドソンジョイスティックを使用しなくなったのだけれども、あえてなかじはハドソンジョイスティックの優位性を確信し、大会に臨み、見事全国準優勝という成績を納めるまでになったのだ。

そう、始まりは大した出会いではなくても、後々離れられない存在になるのだ。

と、まるで偉人のように最後をまとめたところでお開き

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